母の日記


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6月28日(月)      コンタクトレンズに再挑戦        
 久しぶりにコンタクトレンズをつけて出勤した。みんなの反応は「疲れてるわね!」???やつれて見えたらしい。めがねが楽ですが、こうすけを抱っこするとおでこに当たって危ないのです。以前購入していた2週間で使い捨てのコンタクトを使いました。目の負担がちょっときついです。帰宅してからアイボンで目を洗浄するとすっきりしました。もちろん間ではなみだローとを何度もさしました。明日もできればつけて出勤したいと思います。
6月27日(日)    井戸水ピンチ、池は大丈夫か?     
 朝起きて一番に居間の掃除をしましたが、その後はなかなか進みませんでした。午後から近所のスーパーに行くことになっていました。来週資源ごみの日なので、夫にダンボールを束ねてほしいとたのみました。しかし夫はダンボールカッターでこうすけのクッションチェア用の机代わりのボードを作り始めました。あたりはごみだらけ、買い物に行く前に撤去はしたもののダンボールはそのままでした。まあいいか!
 夫はパソコン教室で得た報酬で何を買うか思案中でした。ほしいものがいくつかあり、足りない分は足すことにして、電気屋に物色しに行きました。結局ほしいものはなく、薬局、食品と買出しをしました。食品売り場に行くと迷子の女の子がお母さんを呼び続け泣いていたので見かねてサービスカウンターに連れて行きました。名前を聞いても2歳としか答えられず店員さんに任せて買い物に戻りました。家に帰るときにはこうすけは爆睡していました。
 家に帰ると庭の石垣の間から水がたくさん流れており、不安になった夫が原因を調べると、今度は井戸水が出なくなりポンプが空回りしていました。ポンプの電源を切り、水道水に切り替えましたので生活の支障はありませんが、なぜ井戸水が出なくなったのか原因はわかりませんでした。石垣の間からあふれる水は多量に降った雨が池からオーバーフローして流れている可能性が高いのですが池が決壊するのではないかと不安になります。
6月26日(土)      のんびりしました。
 夫は朝からパソコン教室の機材の片付けに出かけています。こうすけも歯科通院の日でしたが、雨が激しく降っていたため、予約変更をし一日家で過ごしました。オムツかぶれがひどく、排泄のたびにつらそうな声を出しています。何度もおしりを洗い流し、薬をつけました。早く治るといいのですが。
 掃除もしたいのですが、廊下にモップをかけたのと居間の床に散らかったものを片付けたぐらいで、ピッチが上がらず、だらだらとすごしてしまいました。明日は薬局のポイント3倍の日なので、買い物に行こうと思います。主人はパソコン教室で得た報酬で何を買うかずっと悩んでいます。ほしいものがたくさんあるので、、、
仕事の帰り夫に頼んで雑誌を2冊買ってきてもらいました。ミセスリビング(季刊)と天然生活(隔月)楽しみにしている雑誌です。

 明日もいろいろがんばるぞ!
6月25日(金)      もとのもくあみ  
 先週、早寝早起きを実践し、朝型の生活に切り替ることができていました。しかし、今週に入ってまたいつもの夜更かし寝過ごし生活になってしまいました。今日も起きるのがつらかった。
6月24日(木)      疲れました。   
 仕事がなかなか進まず、事務仕事がたまる一方です。利用者の方が困らないようにだけはしたいのですが、ケアマネとしては三流以下だと思っています。
 家に帰って用を済まし、うとうとしているとこうすけがつらそうにシクシク泣いていました。どうやら、おなかがゆるくなっており、おしりがただれてしまったようです。明日はリハセンに行く日なので医療センターで塗り薬をもらうことにしました。
  6月23日(水)     父とりあえず安静状態   
 父は1週間絶食になりました。今日再度、胃カメラの手術をしました。昨日処置した箇所はきちんとなっていたと父は言っていました。病室に行くと仕事のことをあれこれと考えていました。
 今日から夫は公民館のパソコン教室に講師で教えることになり、仕事が終わったら急いで帰宅しました。久しぶりにのんびりしました。
6月22日(火)       父、吐血        
 朝、入院中の父が吐血したと連絡が入り、出勤前に様子を見に行きました。整形のドクターの話では、痛み止めに服用していた薬の副作用だろうということでした。その日すぐに胃カメラの検査をしたところ潰瘍ができていて出血していたことがわかりました。夜間に吐血したのですが家に連絡しても誰も来ないと思って朝まで連絡しなかったようです。検査の間に大部屋から個室に移ることになり、時間給をとって荷物を片付けにいきました。片付けているとけっこう貴重品などがおきっぱなしで驚いてしまいました。胃カメラの検査の後、内科のドクターの説明も聞くことができ、輸血するほどのことはないものの、潰瘍の状態では緊急手術の可能性もあり、その場合島外の病院に転院しなければならないこと、緊急手術の判断が難しいことなど説明を受けました。しばらくは気が抜けない状態が続くと思います。以前、父が網膜に穴が開いて大学病院で手術を受けたとき、こうすけが術後退院して間もなかったため、目がはなせず、一度も見舞いに行くことができず、つらかった思い出があります。現在も毎日、病院通いをしているわけではありませんが、状態が急変したときはドクターの説明をしっかり聞いて、できることはやっていこうと思います。
6月21日(月)      台風がやってくる!  
 目が覚めたのは深夜の2時ごろ、こうすけものどが渇いて目を覚ましました。風が強く雨戸を閉めたのに家の中に隙間風が入ってきています。テレビをつけると暴風警報と波浪警報が出ていてフェリーや高速艇も欠航になっているようです。こうすけは通園はお休み、私はおそらく出勤でしょう。
6月20日(日)      久しぶりのお菓子の教室、嵐の前
 昨年参加していた「働く婦人の家」主宰のお菓子教室に今年度も参加します。例年より1ヵ月遅れで今日から月1回始まりました。今日のメニューはダークチェリーのケーキとさくらんぼの寒天ゼリーでした。お昼にかかるのでたことトマトのスパゲティーとジャガイモのスープも作りました。今日は父の日なので焼きあがったケーキは主人にプレゼントです。
 夕方、台風が来ているので雨戸を閉めるように入院中の父から連絡がありました。木戸なのでうまくあげられないときは近所の大工さんを呼べといわれました。とりあえず主人に閉めてもらいましたが。築30年以上で戸袋が老朽化して壊れている上、湿気を帯びておりレールにうまく乗りません。結局閉められないところが出てきました。我が家は雨戸を閉めるのは台風が来たときぐらいなのであまり気にしていなかったようですが、不便でたまりません。父には雨戸を木製ではなく、最新式のものに替えたいと思うことを話してみましたが、「今までそれでできたから」「うまくあかないのなら大工さんを呼べばいい」と反対されます。いちいち大工を呼べるものか?不便な生活に耐えることが美徳なのか?築30年の実家は水周りや玄関、ガラス戸、あちらこちらで痛みが目立ちメンテナンスが必要です。しかしそのことを父に話すと、「うちの家は100年もつ家だから」ととんちんかんなことをいわれてしまいます。一方、メンテナンスをきちんとしたい夫からはあちらこちらの不備を指摘され、口を開けばお金のかかることばかりいうため、かなりストレスでした。まあ、居候させてもらっているのだから修理代はできる限りだすつもりですが、とにかくリフォームの費用を確保しなくてはいけません。古くても私は生まれ育った実家が大好きです。(両親は母が退職金で建てた新居に移っっています。)雨戸に、玄関、台所に、浴室絶対リフォームするぞ!そうそう、居間もこうすけが車椅子で動きやすいよう、畳からフローリングに張替えです。
6月19日(土)             ・・・・・・・
 寝床に入って寝たのが0:00ごろ、おかしな息づかいで目が覚めたのが2時前、こうすけが発作を起こしていました。夫が寝床に入ったのが1:00ごろで、そのときはなんでもなかったようだ。「発作!」とひとこというと夫が飛び起きました。冷蔵庫に入れてある座薬入れ、病院に電話しました。今日はこうすけの主治医が当直の日なので安心です。点滴のルートを取り薬発作を止めました。1日入院することになりました。退院許可が出たのは15:00でした。結局、入院中とはいえ、こうすけの横で寝てすごしてしまいました。
6月13日(日)     こうすけのお気に入り!      
 訓練で小さな卓上扇風機に大きなスイッチを連動させ押す練習をしています。卓上扇風機はカバーがないもので、羽は当たってもけがおしないようやわらかい素材でできています。近所の電気屋でタイムセールで卓上扇風機が300円台で売っていたので買ってきました。思った以上にこうすけがスイッチ遊びを楽しんでいます。スイッチを押して涼しい風が吹くたびににこにこしています。
月12日(土)    おもちゃ図書館で刺激いっぱい!
 今日は月に1回のおもちゃ図書館の日です。主人が出かけるため、こうすけと一緒に参加しました。今日の活動はパン作りでした。パンの生地を切ってきた竹に巻きつけ、パーべキューコンロで焼くのです。いいにおいが部屋中に漂っていました。今日は参加者がたくさんいて、子どもたちが元気に走り回っていました。こうすけと同じ年頃の子どももいて普段静かな生活をしているこうすけにはとても刺激的でした。うっかりオムツを持っていくのを忘れてしまって困っていたら、一緒に参加していた方が分けてくださり、助かりました。疲れてねむくなるまでにこにこ笑っていてノリノリで参加できました。家に帰ってからはミルクを飲み、こうすけと一緒に添い寝をしました。疲れました!来月もぜひ参加したいです!
    6月11日(金)      障害児保育      
 以前勤めていた職場は複合型の障害者施設でした。その中には市の単独事業である肢体不自由児の母子通園施設がありました。認可施設である知的障害児の施設も合せ、充実した障害児保育を実践していました。保育時間はひたすら子どもたちと活動し、保育終了後は片付けと準備、行事の取り組み、本当に一生懸命に取り組んでいました。同期に採用された友人は指導計画案を念入りに書いていました。障害児の保育は保育師の資格を持っているだけでできるものではないと感じます。個々に違った障害を持つ子どもに対しさまざまなメニューを用意し保育を実践するのは大変だと思います。障害の重いこうすけは一般の保育所や幼稚園に通うことはむずかしいのでせめて障害児保育を専門的に受けることを希望しました。
 肢体不自由児施設に通園できるようになって本当によかったです。
6月10日(木)     もうだめ!   
 月に一度の介護保険の国保連の請求が何とか終わりました。トラブル続きで一時はどうなることかと思いました。ああ、疲れました!
6月9日(水)      ああパソコン!
 介護保険が始まってからパソコンは仕事ではなくてはならない存在になりました。しかし、12年に開始以来がんばってきたパソコンも古くなり老骨に鞭打つ状態で毎日フル稼働しています。しかし、処理が遅く時間がかかりすぎ、そのため、つきに1回の国保連の請求の時期になるとパソコンに縛られてしまいます。今日もかなりがんばっていました。処理が遅いと文句を言うとストライキをするようにさらに処理が遅くなってしまいます。パソコンはバージョンアップしていくし、データーもたまっていくのだからハードディスクとメモリーの容量の大きいものにしてほしいです。
6月8日(火)       おおいにけっこう!   
 介護保険の開始とともに福祉サービスを利用することへの抵抗が減ってきたように感じます。昔のおとしよりは福祉サービスを利用することを「お上の世話になる」と考えできるだけ家族で乗り切ろうとする傾向が私の周りでは見られました。しかし、介護保険料が徴収されるようになって「保険料を払っているのだから」と積極的にサービスを利用しようとする傾向も一部で見られています。仕事をしていていろいろなお年よりや介護者と出会いますが、自分の意思をしっかり伝えることができる人が多く、うれしい反面こちらも負けてはいられません。「世話してやってる」なんて思っていません。私はボランティアではないから。お年よりからの要求が多いのはおおいにけっこう!でもサービスには限界があるからね!
6月7日(月)       パソコンフル稼働
 ケアマネ業務が主流になり、パソコンなしでは仕事ができなくなりました。今日もたくさん書類を作りました。ソフトがあるので決まった手順をこなせば必要な書類と作成できます。
6月6日(日)           宝の山      
 昨日お悔やみがあって数時間だけ出かけていました。久しぶりに気分転換できょうは高松に出ようかと主人と話していましたが、この数ヶ月放棄していた家事が山積みになっていたのでやっぱりやめることにしました。
 部屋の片付け、家の周りの草むしりやることはたくさんあります。朝目覚めたとき、軽い頭痛があり、いつまでも横になっていたいと思いましたが、ハーブを植えているコーナーの草むしりをしました。太陽の光を浴びながら雑草と戯れるのはとても気持ちがいいです。井戸の周りにヨモギが大繁殖しているので少し刈り取りました。今夜はヨモギ湯です。ヨモギを洗おうと外の流し台のところに行くとドクダミがたくさん生えていました。結局どくだみを少し刈り取り洗って干しています。ハーブ畑には去年植えたワールドストロベリーが増殖して占領しています。採れた小さなイチゴは砂糖をかけて軽く火を通しイチゴミルクにして飲んでいます。
 掃除という掃除はできませんが、あちこちにおいてある洗濯物を片付け、ごみを収集し、探し物を見つけるといったところです。押入れの掃除をしたいところですが、そこまでたどり着けませんでした。夫の体調がいまいちで今日は一日中体がだるくて横になっていました。こうすけは汗をたっぷりかいています。これからも体調管理に気をつけなければいけません。
6月4日(金)     プ、プ、プ、プールでした!
 夫が内科に受診するため、きょうも仕事を休んでこうすけの通園に付き添いました。きょうはいつもの通園と違うのです。親子水泳教室に参加します。去年買った水着をもって参加しました。肥満体なので水着を着るのはいやでしたが、息子のため我慢です。それにプールに入ってしまうと子どものことで精一杯なので自分のスタイルのことなど気にしている暇はないのです。
 プールに入っている時間は1時間もありませんが、疲れました。でもこうすけはニコニコでした。
6月3日(木)     心と体のバランス
 ショックなことがあるといつもと違う体の不調が出現します。火曜日から頭痛と首の後ろが重くのしかかるようなふかいかんがあり、今日になって胃の調子が悪くなってしまいました。治療院に予約をとりマッサージをしました。痛みが取れるまで大変でしたがすこしすっきりしました。明日からもがんばるぞ!
6月2日(水)     自分と向き合うこと
 息子が水頭症になったことがきっかけで症者と家族の会に参加させてもらっています。メーリングリストで全国の症者や家族の方とインターネットを通してメールのやり取りをします。息子が1歳になるまで手術を繰り返し心身ともに追い詰められていました。そのときに参加した水頭症協会のメーリングリストで私はたくさんの方のお話を聞き、私自身の悩みを聞いてもらい乗り切ってくることができました。悲しみのどん底にいるとき話を聞いてくれる仲間がいることは本当幸せです。私は人に話しているうちに答えを見つけることが多いのです。自分と向き合うことができるのは悩みを聞いてくれる仲間がいてくれるからだと思いました。
6月1日(火)       神様がくれた病気
 私は宗教を信仰していませんが、占いが好きです。占いをするのは運命を味方につけたいからです。ある占いでは私の宿命は苦労することで開運するといわれています。また、ものごとの最後をつかさどるため、子どもに恵まれない。子どもに頼れないと出ていました。息子の障害も宿命なのかもしれません。ただ自分がどんなに苦労することがあっても、罪のない子どもに神様は水頭症という病気をもたらしこうすけの脳を封印してしまいました。こうすけが生まれて間もないころ私はこの子が不憫でなりませんでした。こうすけが重い障害があって普通に成長できないと主治医に告げられたとき生まれて初めて絶望という言葉の意味を知りました。ただ、ただ悲しかったです。しかし、ある日こうすけが生死をさまよったとき、私は自分にとって息子が障害を持つことよりも息子を失うことのほうがもっとつらい、生きていてくれるだけでいいと思いました。こうすけがはじめて笑ったとき、絶望から希望に導かれていきました。
 大学病院に入院していたとき脳外科の主治医が「水頭症は神様があたえてくれた病気だからね」といわれたたことがありました。このことばが結構気に入っています。治療の中で息子の病気のことが少しずつわかってきました。それは誰のせいでもなく、本当に神様がくれた病気でした。医学の進歩は時として残酷な事実をもたらします。でも、受け入れなければならないのです。私はこうすけとともにいきていきたいし、人生をあきらめたくないから。